
古代史オタク、東大寺二月堂の“お水取り”へ。1274年途切れることなく続く「不退の行法」に感動
東大寺や唐招提寺、興福寺、春日大社、薬師寺、法隆寺など、有名な寺社が居並ぶ奈良県。若草山には桜が咲き、鹿が草を食む変わらない景色が広がります(最近はインバウンドの人まみれになりましたが…)。
飛鳥の方まで足を伸ばせば、のどかな里山の中に太古の石たちが忽然と姿を現す不思議な光景も。寺めぐりが好きな人は長谷寺や室生寺もおススメです。
山深い女性のお寺は、情緒たっぷりで心が洗われます。
今回は歴史作家・関裕二先生のお誘いで2025年3月6日(木)に行われた東大寺長老・筒井寛昭(かんしょう)さんの講演(一社 奈良地域デザイン研究所主催)と“お水取り”に参加してきました。深夜から二月堂・本堂の中に籠り、お香水(こうずい)も授けていただくという貴重な体験。
今と昔が同じ時の流れの中にあることを感じさせてくれる、奈良県の荘厳な行事をご紹介していきましょう。
東大寺の「お水取り=修二会(しゅにえ)」とはどんなもの?

東大寺二月堂で毎年2月20日から3月15日までの24日間行われている24日間の行法「修二会(しゅにえ)」。二月堂本堂の十一面観音菩薩に対し、過ちを懺悔し、除災招福を祈る法要のことです。
行中の3月12日深夜(13日の深夜1時30分頃)に、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われることから“お水取り”と呼ばれています。
また、行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされることから“お松明”とも。
2025年で1274回目、「修二会」が行われてから一度も休むことなく続いてきた伝統行事です。
東大寺の大仏開眼供養から始まった「修二会」

そもそも東大寺は誰が建てたお寺かわかりますか?そう、聖武天皇です。以下の記事で聖武天皇についてはちょこっと解説していますので気になる人は読んでね。
743年(天平15年)に聖武天皇が盧舎那大仏造立(奈良の大仏)の詔を発せられ、752年(天平勝宝4年)に開眼供養会が行われました。「修二会」が行われる二月堂は良弁僧正(ろうべんそうじょう)の弟子・実忠(じっちゅう)が創建。
実忠は京都の南山城にある笠置山(かさぎやま)で天界の菩薩たちの法要に感動し、人間界でも行いたいと願い出て始まったのが「修二会」であるといわれています。しかし、天界での1日は人間界の400年に相当するそうで…。
「天界の時間の流れに追いつくため、走って法要を行う」と誓ったことで、これを行うことを許されたそうな。今回実際にお堂の中で走り回る僧侶たちの姿を見て、その迫力が体感できました。
笠置山については下記記事もぜひ!
「修二会」のスケジュールを簡単に

私たちがおじゃましたのは2025年3月6日(木)。修二会自体は2月20日から始まっていました。以下が簡単なスケジュールです(引用元:東大寺修二会会 筒井長老講演会資料より)。
- 前行:「別火(べっか)」2月20日~24日、「試別火(ころべっか)」2月25日~晦日、こちらは戒壇院別火坊
- 本行:3月1日~7日(上七日)、8日~15日(下七日)、こちらは二月堂
修二会はもともと旧暦の2月に行われてきました。現在の形になったのは室町時代の頃といわれているそうです。
戦争や火災などに見舞われながらも一度として耐えることなく続いてきたまさに「不退の行法」。筒井長老は講演会の中で「時代と共に変化し続けてきたからこそ、現在まで残されてきたのではないか」とお話されていました。
「修二会」では11名の練行衆(僧侶)が参籠
東大寺の僧侶が人々の罪禍を悔い改め、国家の安泰と人々の豊楽を祈る法要。行を行うのは11名の「練行衆」と呼ばれる僧侶です。
和上・大導師・咒師(しゅし)・堂司(どうつかさ)など僧侶にはそれぞれ役割が。僧侶たちは2週間に渡って一緒に寝泊まりし、悔過法要を行う、というわけです。
「修二会」は神仏習合
神仏習合とは日本の神道(神様を祀る)と、大陸から伝わって来た仏教が融合し、お互いの進行や儀式を取り入れ合うことをいいます。本地垂迹説(ほんじすいじゃく)といって、八百万の神々は様々な仏(菩薩など)が化身して現れたものとする考え方。
熊野三山で有名な熊野三社に祀られている神は、それぞれ仏の姿も持つ「熊野権現」という信仰はこの神仏習合の姿。例えば、熊野速玉大社の神様は「薬師如来」という仏様のお姿を持つ、といわれています。
修二会は祓いにより、神を迎える罪・穢れのない清浄な空間をとくる浄化の儀式「神道」、汚れを祓い心身を清めて新たな身体と心で新年を迎えて豊穣や安寧を祈る「民間信仰」、懺悔により罪を取り除き功徳を得る「仏教」と、3つの思想が結びついたものである、と言えるのだそうです。
修二会の前半は場と心の徹底したお清め
修二会は東大寺境内にある手向山(たむけやま)八幡宮の宮司(神道)による修行道場の徹底したお清めからスタート。

手向山八幡宮は東大寺大仏建立のため、大分県の宇佐八幡宮より、東大寺守護の神として迎えられ、祀られたもの。この時、東大寺の正倉院西側にある転害門(てがいもん)から八幡神をお迎えしています。

転害門には奈良時代の柱が一部、そのまま残っているので必見ですよ。
その後「悔過法要」で心の清めの法要がスタート。法要では人々に代わり、本尊に罪過を懺悔し、罪障の消滅と共に仏と神の加護を願います。
法隆寺・薬師寺・興福寺などでも行われていますが、悔過法要が完全な形で残されているのは東大寺の修二会だけだといわれているそうです。
前半の総仕上げは「総別火」で身体と心のお清め。恵比寿神社前の川で組んだ水で身体を清めます。
お清めが終わった練行衆は紙衣(かみご)を身に着け、持ち物やふとん、御経、テシマゴザを持ち二月堂参籠所へ。紙衣は紙を40~50枚もんで柔らかくし、継ぎ足して作るもので、木綿の布との合わせにして作るそうです。
ちなみに別火坊の広間では堂内の須弥壇に供えるツバキの造花を造る「花ごしらえ」も。造花は本行中、十一面観音菩薩の周りに本物のツバキの枝にさして供えられるそうです。
修二会の後半「本行」は二月堂が舞台
本行では上堂最初の祓いとして、呪文を唱えて加持祈祷が行える咒師(しゅし)が僧侶と神官の一人二役となって大中臣祓い(天狗寄せ)を行います。
そして、和上による受戒(=八斎戒)を行い、仏教による身体・心のお清めを。
期間中は「一日の行法」として僧侶によるお勤めが続くわけです。
修二会で有名なのが522柱の神々の名を記した「神明帳」の読み上げ、3月5日・12日に行われる東大寺に縁のある人々の名を記した「過去帳」の読み上げでしょうか。
「大施主、将軍頼朝の右大臣」の後に小さな声で「青衣(しょうえ)の女人(にょにん)」と読み上げられます。「青衣の女人」とは鎌倉時代、修二会の最中に集慶(じゅうけい) という僧侶が過去帳を読み上げていたところ、その前に青い衣の女性が現れ、「何故わたしを読み落としたのか」と、恨めしげに問うたといいます。
集慶がとっさに低い声で「青衣の女人」と読み上げると、その女人は幻のように消えていったそうな。それ以来、読み役の練行衆は「青衣の女人」を微音で読み上げることになっているそうです。
筒井長老は講義の中で、聖武天皇の「一握りの土でも良いから、大仏造立に協力してほしい」という呼びかけに応じ、大仏造立に関わった大勢の人々も読み上げなければいけない(名もなき人々も大切にしなければいけない)、と出てきたのではないかとおっしゃっていたのが印象的でした。
修二会の本尊は7日ごとに移動する
東大寺二月堂の本尊は大観音・小観音の二躰(秘仏)あります。上7日間(3月1日~8日)は小観音が裏正面、下7日間(3月8日~14日)は小観音が表正面と移動。
このため、本行は2週間あるのだそうです。
修二会の「水取り行法」

3月12日の深夜に若狭井戸から、本尊の十一面観音に供える香水を汲み上げる儀式。練行衆が水を運ぶ姿を見ることはできますが、汲んでところは見ることができません。
福井県小浜市では毎年、お水取りの10日前、3月2日に「お水送り」をしています。このお水送りは若狭の神である遠敷(おにゅう)明神に由来するものです。

実忠和尚が修二会の行法中、「神名帳」を読み上げ、参集を求めたところ、遠敷明神だけが川で釣りをしていたために遅刻。他の神々がとがめたところ「お詫びとして、ご本尊にお供えする霊水を若狭からお送りする」とおっしゃり、二月堂下の大岩の前で祈られたそうです。
すると、大岩が動いて二つに割れ、黒と白の鵜が飛び立ち、続いて霊水が湧き出たとのこと。これが二月堂下にある若狭井戸です。
小浜の「若狭神宮寺」の「閼伽井(あかい)」で汲んだ水を清めた後、若狭神宮寺から約2km離れた「鵜の瀬」と呼ばれる河原に、松明行列で閼伽水を守護しながら移動。「鵜の瀬」から閼伽水を遠敷川に流すと、10日間かけて奈良の「若狭井」に届くとされています。
こちらもぜひ1度、見てみたい行事ですね。
修二会の「お松明」

一般の方の修二会のイメージはやっぱり「お松明」ですよね。私もそうでした。
お松明は夜の行を務めるため、二月堂に向かう練行衆の足元を照らす灯りとして使われたことに始まります。お松明は本行が開催される期間中は毎日行われています。
中でも3月12日には一回り大きな「籠松明」が登場。長さ8m、重さ70㎏ほどあるといわれ、通常は10本しか上堂しない松明が、12日のみ11本上堂するそうです。

お松明の火の粉を浴びると健康になるといわれ、こちらを浴びるためにできるだけお堂の近くに陣取る方も。お松明の燃えた後の松葉は「護符」として持ち帰ることができます。
私もいただいて帰り、部屋のドア上に飾りました。1ヶ月近く、その下を通ると松ヤニの燃えた匂いがして荘厳で力強い修二会の夜を思い出して楽しむことができました。
夜に再び二月堂に集合し、行が行われているお堂の中へ

「お松明」を見た後、夕食を取り、いったん解散。夜9時頃に再集合し、お堂の中で本行を聞くことになりました。
一般の方や女性は礼堂の中まで入ることはできないので、格子越しに垣間見ることができる小さなスペース「局(つぼね)」で拝見します。
修二会では「達陀(ダッタン)行法」というのが独特です。両足で飛び、悪霊を踏み鎮めるダダ(ダダオン)や、練行衆の「火天」役(燃え盛る松明を持つ)・「水天」役(酒水器を持つ)が須弥壇の周りを駆け回り、跳ねながら松明を何度も礼堂に突き出す所作をする、謎めいた行事。
今回、「局」の前で僧侶が飛び上がり、身体を丸めて激しく床板に何度も身を打ち付ける「五体投地(ごたいとうち)」を目の前で拝見することができました。これがものすごい迫力。
数時間後、足をつってしまった私はお堂の外へ出ようとしたところ、周りにいたからから「もうすぐお香水(こうずい)を授けてもらえるから頑張れ」と次々に声がかかり、痛みをこらえて座り直します。
しばらくすると皆さん(私も)、格子の間から手を堂内へ差し入れ始めます。そこへ僧侶がお香水を授けてくれましたので、私は頂いたお香水を顔につけ「しわが伸びますますように(!?)」と願いました。
お香水はとてもよい香りがして、どこか清らかな気持ちになれました(しわが伸びなくてもイイや、という気持ちに)。
この後、低く豊かな美声で唱えられる「お声明」が始まるそうなのですが、疲れ(室戸岬のモニターツアーからそのまま駆け付けた)と足の痛みが限界でホテルに戻ることにしました。
1200年以上も途切れることなく続いてきた東大寺の「修二会」。皆さんもぜひ一度、お松明だけではなくお堂での行も拝見することをおススメします。

Information
東大寺
住所:奈良県奈良市雑司町406
開催期間:3/1~14
問合せ:0742-22-5511
修二会(お水取り)
【日程】2月20日~3月15日
★毎日行われる行法「六時」、お松明は19時に点火
★特定の日だけ行われる行法「神名帳」「過去帳」の読み上げ、お水取りなど
※料金やサービス等は取材当時のものです。最新の情報は公式ホームページを参照してください。
バス会社の比較がポイント!