古代史オタク旅行2日目は貸切バスツアー!木津川が流れる「南山城(京都)」編

古代史オタク旅行2日目は貸切バスツアー!木津川が流れる「南山城(京都)」編

大和路仏像巡り1日目のツアーを終え、万歩計を見てびっくり!なんと、3万5千歩を超えていました(毎回のことだから予想はしていましたけど)。

2日目は近鉄奈良駅から貸切バスに乗車。京都・南山城地域にある仏像を訪ねます。

南山城は京都南部にあり、宇治茶・煎茶の名産地として知られています。南山城には今回訪れる「浄瑠璃寺」「笠置寺」「御堂観音寺」の他、「蟹満寺」「寿宝寺」「岩船寺」「禅定寺」など仏像で有名なお寺がずらり。

どんな仏像に出会えるのでしょうか。楽しみです!

大和リゾート株式会社企画・催行「関裕二先生と行く大和路仏像巡り編」

<1日目午前:奈良市内編>

近鉄奈良駅・行基像前出発==白毫寺==二月堂==昼食(春日野)==東大寺ミュージアム
奈良市内編はこちら≫

<1日目午後:西ノ京編>

近鉄奈良駅から西ノ京駅へ移動(午後のみ参加者と合流)==薬師寺==唐招提寺==近鉄奈良駅着終了
西の京編はこちら≫

<2日目:南山城(京都)バスツアー編>

近鉄奈良駅出発(貸切バスで移動)==浄瑠璃寺==笠置寺==昼食(松本亭)==山城国分寺・恭仁京跡==大御堂観音寺==近鉄奈良駅着終了

<3日目:法隆寺編>

JR法隆寺駅集合・出発==藤ノ木古墳==法隆寺==昼食(布穀薗)==法隆寺・夢殿・宝物殿など==中宮寺==法起寺==JR法隆寺駅着終了
法隆寺編はこちら≫

<4日目:室生寺からの熱田神宮編>

JR京終駅出発==龍穴神社==室生寺==昼食==名古屋・熱田神宮==新幹線で帰京・終了
室生寺・熱田神宮番外編はこちら≫

京都と奈良の文化が交わる南山城、まずは「浄瑠璃寺」を訪ねます

浄瑠璃寺本堂・阿弥陀堂
「浄瑠璃寺」本堂・阿弥陀堂

京都の最南端にある南山城は、古来から京都仏教の聖地として大寺の僧が世俗の喧騒を離れて修養・研鑽のために出入りした地域。“小田原別所”と呼ばれていたそう。

浄瑠璃寺の伽藍と庭園説明

「浄瑠璃寺」は奈良時代に聖武天皇が行基に命じて建立させたと寺の縁起にはあるそうですが、「浄瑠璃寺流記事(重要文化財)」には、1047年(永承2年)に、当麻出身の僧義明が薬師如来を安置して開基したと書かれているようです(参照元:木津川市ホームページ)。

「浄瑠璃寺」創建時のご本尊が薬師仏(秘仏・重要文化財)だったことから、その浄土である浄瑠璃世界が寺名の由来とされています。

京都から移築された三重塔と、阿弥陀仏を安置する本堂が向かい合う配置

三重塔
「浄瑠璃寺」三重塔

平安時代末期に九体の阿弥陀仏(すべて国宝)を安置するお堂(国宝)を建立。京の都から移築した三重塔(国宝)と中央の苑池、特別名勝の庭園を配置した浄瑠璃伽藍は、四季折々の美しさで訪れる方を楽しませてくれます。

風情ある庭園

平安時代に造られた浄土庭園の形を残すことから、1965年(昭和40年)に周囲の山林を含め、名勝及び史跡に指定。1975年(昭和50年)に行った大規模整備で往年の姿を復元したことにより、特別名勝に指定されています。

2日目は朝から雨が降ったり止んだりとあいにくの空模様。しかし、雨に濡れてたたずむ「浄瑠璃寺」はなかなか風情がありました。

現生の苦悩を救う薬師如来、極楽浄土へと迎えてくれる阿弥陀如来

池越しに三重塔を見る
池越しに三重塔を見る

薬師仏は東方浄土の教主で、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遣送(けんそう)仏。現在は三重塔にお祀りされています。

一方、池を挟んで向かい側にある「浄瑠璃寺」の本堂・阿弥陀堂にお祀りされている九体の阿弥陀仏は、西方未来の理想郷である楽土へ迎えれくれる来迎仏。

京都・南山城にある「浄瑠璃寺」
本堂・阿弥陀堂(三重塔から池越しに見る)

東にある三重塔(此岸)から池を挟んで西(彼岸)に向かい、來迎仏である阿弥陀仏を拝む配置となっており、本来の拝観順序は三重塔→阿弥陀堂なのだそうです。

「浄瑠璃寺」北側には南向きの大日如来像(秘仏)を祀る灌頂道(かんじょうどう)もあり、全部で三つの堂塔がありました。

ご住職のお話をうかがった後、本堂で阿弥陀仏とご対面。お堂の扉は、各阿弥陀像に対応するように配置されています。

九体の阿弥陀仏と聞くとすぐに思い出すのが、世田谷区の九品仏駅前にある浄真寺。この他九州にも九体の阿弥陀仏(石仏)があるそうです。

平安時代に京都を中心に30か所ほど九体阿弥陀堂が造られたそうですが、現存しているのは浄瑠璃寺だけとなっています。

「浄瑠璃寺」では秘仏の“吉祥天女像”を特別公開中

今回訪れた時、秘仏となっている吉祥天女像(重要文化財)が拝観できました(お正月と春秋に開帳)。実はこの吉祥天女像にそっくりといわれているゆだぽんさんが、同じツアーに参加。

皆さん、この像に対峙すると首を傾げ、誰かに似てる・・・という表情をされるのがおもしろかったです。

ツアーから帰った後、「東京都写真美術館」で5月14日(日)まで開催されていた「土門拳の古寺巡礼」に行き、仏像の復習。ここで土門さんが撮影された写真で、浄瑠璃寺の吉祥天女像のお顔をしっかりと見ることができました。

やっぱりそっくり・・・しかも偶然、ゆだぽんさんにばったりお会いするという嬉しいハプニングも!引き寄せられちゃいましたね。

浄瑠璃寺の駐車場
「浄瑠璃寺」のバス駐車場

Information

浄瑠璃寺
開門時間:9時~17時(本堂拝観は16時30分まで)
拝観料:中学生以上400円
※50名以上の団体で割引あり
住所:京都府木津川市加茂町小札場40
電話:0774-76-2390
バス駐車場:浄瑠璃寺前の駐車場が利用できます

巨石に刻まれた仏が圧巻「笠置寺(かさぎでら)」

笠置寺の駐車場に到着
「笠置寺」の駐車場に到着

再びバスに乗り込み、「笠置寺」に向かいます。木津川の南岸にそびえる標高289mの笠置山の山頂にあり、古くから修験道場、信仰の山として親しまれてきました。

鹿鷲山 笠置寺(しかさぎざん かさぎでら)
「鹿鷲山 笠置寺(しかさぎざん かさぎでら)」

お寺の開山は白鳳時代(664年)となっていますが、それ以前(弥生時代)より巨岩を中心とした自然崇拝の場として、人々が祈りを捧げてきたと考えられています。

671年、鹿狩りに訪れた天智天皇の皇子が、巨石から馬もろとも滑落しそうになり、山の神に救いを求めたところ、仏様が現れて難を逃れたといいます。

この時、恩返しとして皇子が仏様のお姿を巨石に刻むことを約束。後日、訪れる際の目印にと笠をこの岩の上に置いて帰られたそうです。笠を置いた石ということで「笠置石」と呼ばれています。

「笠置」という地名の由来となった岩
地名「笠置」の由来となった「笠置石」

上写真の巨石と巨石の間に小さな石が挟まっているのがお分かりいただけるでしょうか。

笠置という地名の元となった笠置石にまつわる物語をご住職がYouTubeで語られていますので、ぜひご覧ください。

天智天皇の発願により、天武天皇が造立した「弥勒摩崖仏」

巨石に掘られた弥勒摩崖仏
巨石に掘られた「弥勒摩崖仏」

「笠置寺」の正月堂を背に立つと正面右から「弥勒」「文殊」「薬師」と三つの大きな巨石があります。このうち弥勒摩崖仏は「笠置寺」のご本尊で、高さ15mの壁面に弥勒菩薩立像が刻まれていました。元弘の戦乱時の正月堂焼亡の炎により消えてしまい、現在はそのお姿をはっきりと見ることはできません。

天智天皇の皇子がご恩返しとして約束した弥勒摩崖仏。この岩に掘られたのは天武天皇の時代だそうです。

巨石を前に天武天皇が思案していると、天から雲が降りてきて巨石を覆い隠し、再び雲が去った時には弥勒磨崖仏が刻まれていたと伝わります。

“お水取り”で有名な東大寺の修二会、その起源はここ「笠置寺」に

笠置寺の正月堂

東大寺の二月堂で春の訪れを告げる行事として有名な「修二会(お水取り)」。東大寺には二月堂の他、三月堂(法華堂)、四月堂(三昧堂)がありますが、1月に当たる正月堂がありません。

実はその「正月堂」は「笠置寺(正月堂は752年に建立)」にあります。

良弁(ろうべん)和尚の尽力により完成した東大寺の大仏。その良弁和尚のお弟子さんである実忠(じっちゅう)和尚は、笠置の龍穴から弥勒菩薩の世界に至り、十一面観音悔過(けか)法を学びました。

十一面観音悔過法とは、私たちが知って知らずに犯してしまった間違いを、仏に悔い改める行法です。東大寺・二月堂の「修二会(お水取り)」とはこの十一面観音悔過法のこと。

東大寺のお水取りの起源となった正月堂
「笠置寺」の正月堂はお水取りの起源

第1回目の十一面観音悔過法が行われたのが「笠置寺」の正月堂で、現在まで引き継がれている“二月堂お水取り発祥の地”ということなのです。

実忠和尚が千手の秘宝を行った笠置の龍穴「千手窟」や今もその姿を留める「伝虚空蔵摩崖仏」

笠置の龍穴「千手窟」
笠置の龍穴「千手窟」

ご住職のお話をうかがった後、時間の許す限り境内を巡ります。まずは東大寺の大仏建立時に良弁和尚が千手の秘宝を行った「千手窟」。

古くから仏の世界への入口“笠置の龍穴”と呼ばれ、実忠和尚はこの場所から弥勒の浄土へ進み、十一面観音悔過法を学びました。

さらにその先へ進むと「伝虚空蔵摩崖仏」が見えてきます。

「伝虚空蔵摩崖仏」
「伝虚空蔵摩崖仏」

虚空蔵とは「際限なく入る蔵」という意味で、12mの岩肌に9mの仏様が彫られていました。作成年代は弥勒摩崖仏と同時期、もしくは平安時代とも伝えられているそうです。

この岩には「記憶が良くなる」というご利益があるそうで、思い当たる人(私も含め全員!?)はせっせと触れていきます。

胎内くぐり
胎内くぐり

修行を行う前に身を清めるために行われる滝行ですが、笠置山に手頃な滝がなかったため、岩の洞窟を母胎に例えて通り抜けることで生まれ変わりを表す「胎内くぐり(冨士講でも登山前によく行われた)」が行われていたそう。

安政の地震まで天井も自然石で覆われていたそうですが、現在は人工の切り石となっています。

この先にも「太鼓石」「ゆるぎ石」「平等石」と名付けられた巨石が続き、後醍醐天皇が行在された「行在所跡(あんざいしょあと)」なども。

1周すると約800mですが、雨が降り大変滑りやすいので途中で引き返しました。紅葉の名所としても知られる「笠置寺」。天気の良い日にじっくりと巡ってみたいです。

Information

笠置寺
入山時間:9時~16時
入山拝観料:高校生以上300円、中学生100円
※団体は30名以上で割引あり
住所:京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29
電話:0743-95-2848
バス駐車場:あり

お昼は笠置山の山頂付近にある料理旅館「松本亭」できじ料理をいただく

きじ料理で有名な料理旅館「松本亭」
きじ料理で有名な料理旅館「松本亭」

1890年(明治23年)創業の「松本亭」は100年以上の歴史がある「笠置寺」門前のお休み処としてスタート。「笠置寺」に参拝される方から泊まりたいという要望もあったことから、旅館として開業したと伝わるそうです。

笠置山の自然を眺めながら食事が楽しめる

現在では、1日2組限定もしくは1グループ限定で宿泊可能。お食事だけのプランも用意されており、今回私たちもバスツアーの昼食場所としてこちらに立ち寄りました。

きじ小鍋定食
きじ小鍋定食

「松本亭」の名物はきじ料理です。「古事記」「万葉集」にも登場するほど古くから親しまれ、高級食材として食べられてきたきじ。

高たんぱくで脂は少なめ、ミネラル豊富と栄養バランスが良く、濃厚で歯ごたえのある味わいが楽しめます。

きじ釜飯
きじ釜飯

私たちがいただいた「きじ小鍋定食」では、きじ釜飯やきじ小鍋、お吸い物、デザート、小鉢がついていました。

きじ小鍋
きじ小鍋

きじ肉を食べたのは初めてですが、かめばかむほど旨味があふれ出て、お出汁が秀逸。きじ小鍋の他、きじ焼定食もありました。

皆さんも「笠置寺」にお出かけの際は、ぜひこちらできじ料理を楽しんでみてはいかがでしょうか。カフェメニューもありますよ。

松本亭のメニュー

Information

料理旅館「松本亭」
住所:京都府相楽郡笠置町笠置山20
電話:0743-95-2848
バス駐車場:あり

聖武天皇が造営、幻の都ともいわれる「史跡恭仁京跡(山城国分寺跡)」へ

史跡恭仁京跡
史跡恭仁京跡

皆さんは聖武天皇が作った「恭仁京(くにきょう)」を御存じでしょうか。平安京や平城京は知ってても恭仁京は知らないという方は多いのでは・・・。

京都府内で初めての本格的な都といわれています。実は私も古代史にハマる前はまったく存じ上げませんでした(習ったかもしれないけど覚えてない)。

恭仁京跡の説明書き

実は聖武天皇、平城京に入る前にあちこちで都を造っては移しています。740年(天平12年)“藤原広嗣の乱”真っただ中に聖武天皇は「朕思う所があって、今月の末、しばらく関の東に往こうと思う・・・」と東国行幸に出発。

一時は「彷徨(ほうこう、当てもなくふらふらさまようこと)?!」といわれた聖武天皇の行動でしたが、明確な目的をもって東国行幸に出かけたと最近ではいわれています。

というのも、聖武天皇が通ったルートが、大海人皇子(おおあまのみこ、のちの天武天皇)が天智天皇の皇子・大友皇子と争った“壬申の乱”の行路と一致。関先生いわく、「壬申の乱の追体験をすることで、藤原氏にゆさぶりをかけた」のではないか、ということなのです。

聖武天皇はこの行幸中、741年平城京から恭仁京に遷都。744年に難波宮(なにわのみや、大阪)へ、745年には紫香楽宮(しがらきのみや、滋賀県)へと4度遷都を繰り返しました。そして745年に再び平城京へ戻り、東大寺・大仏建立へと邁進します。

恭仁京があった場所は都に理想的なロケーション

恭仁京のつくられた場所、実は流通の要所であり、政治的・軍事的にも理想的なロケーション。目の前を木津川が流れ、三方を山に囲まれ、都を見下ろす高台に宮を置くことができました。

古代においてこれほどの立地を持つ都はないともいわれた場所。大極殿は平城京にあったものをわざわざ解体し、移築したことがわかっています。

恭仁宮跡には、大極殿の礎石(建物の柱を載せる土台となる石)が今も変わらず、同じ場所に残っていました。

山城国分寺跡
山城国分寺跡

恭仁京の大極殿があった場所はその後、山城国分寺・金堂となり、七重塔や境内鎮守社などを整備。全国でも稀な2つの重要遺跡が複合する場所となっています。

Information

史跡恭仁京跡(山城国分寺跡)
住所:京都府木津川市加茂町例幣(れいへい) 
電話:0774-39-8191(一社 木津川市観光協会)
バス駐車場:あり

「大御堂観音寺(おおみどうかんのんじ)」で十一面観音菩薩立像を観る

大御堂観音寺
大御堂観音寺

南山城の仏像を巡るバスツアー、最後は京田辺市にある「大御堂観音寺」を訪ねました。

「大御堂観音寺」は天武天皇の勅願により、義淵僧正が開基。その後、聖武天皇御願により良弁僧正が伽藍を整備し、十一面観音菩薩立像を安置したといわれています。

のどかな里山の風景が広がる観音寺周辺

かつては「筒城(つづき)の大寺」と呼ばれるほどの大寺院だったそうですが、幾度となく火災に見舞われて建物のほとんどが消失。大御堂だけが再建されて現在にいたっているそうです。

御本尊は天平仏「国宝・十一面観音菩薩立像」

御本尊は天平仏の国宝・十一面観音菩薩立像

十一面観音菩薩立像は、たくさんの顔であらゆる方向を見守り、人々を救いに導いてくれる観音様の中でも、特に優れたご利益があるといわれています。

2021年6月に開催された東京国立博物館「特別展 国宝 聖林寺十一面観音菩薩立像」に足を運び、仏像彫刻の傑作といわれる天平仏を間近で拝観したのを思い出しました。

「大御堂観音寺」の御本尊である十一面観音菩薩立像は、天平時代独特の技法である「木心乾漆(もくしんかんしつづくり)」で造られています。

大まかな木彫像の原型を作り、そこへ漆を塗布した布を張り固め、木粉を混ぜた漆を盛りあげて細部を整形しつつ完成させる技法。

観音寺の由緒

「大御堂観音寺」の十一面観音菩薩立像は、正式には「一木式木心乾漆造(いちぼくしきもくしんかんしつづくり)、漆箔(しっぱく)(下地の上に漆を塗り金箔で表面を加工)仕上げというそうです。

国宝の仏像を間近で拝観可能

こちらの観音様はなんと、かなり間近で拝観できる(しかもガラス越しとかではない)のでワクワクです。扉の影からちらりとのぞく指先。

なんとも優美でなまめかしさもあり、まるで生きているようです。国宝をこの近さでじっくりみるのはなかなかできないことなので、皆さんもぜひ足を運んでみてくださいね。

Information

大御堂観音寺
住所:京都府京田辺市普賢寺下大門13 
電話:0774-62-0668
バス駐車場:なし

「大御堂観音寺」拝観でバスを駐車させていただいた「西村幸太郎商店」でお茶をいただく

株式会社西村幸太郎商店でバスを停める
株式会社西村幸太郎商店さんの駐車場

「大御堂観音寺」では大きなバスを駐車できなかったので、その向かい側にある宇治茶問屋「株式会社西村幸太郎商店」さんの駐車場に停めおき。

「大御堂観音寺」を拝観した後、店内で自慢のお茶をふるまってくださいました。

自慢の宇治茶を店内で販売

店内にはいろいろな種類のお茶がずらり。お茶を使ったスイーツなどもあります。

年代物の茶器もあります

宇治茶問屋ということもあり、大容量の麦茶やほうじ茶などもあって、買おうかどうか迷ったのですが・・・。味が変わってしまってはもったいなので断念。

ご自宅用に大好きな玄米茶(小容量)を購入して帰りました。

Information

株式会社西村幸太郎商店
住所:京都府京田辺市普賢寺打垣内17
電話:0774-62-0167
バス駐車場:あり

ツアー最後のサプライズ!バスで若草山山頂へ

若草山山頂
若草山山頂

バスツアーの進行が予定よりも早く終わりそうということで、急遽奈良の若草山山頂までドライブしてくださることに。

若草山といえば、2021年新潮講座主催で催行された「関裕二先生と歩く奈良~奈良市内・山野辺の道・飛鳥編~」で、登山したことが思い出されます。

あの時は春日山遊歩道をえっちら、おっちら登りましたが、今回はバスで山頂にある駐車場までサクッと登りました。

雨がぱらつき、ガスっている山頂でしたが、雲の向こう側に奈良の街が見えてなかなか幻想的な光景。晴れた時とはちょっと違った景色を見ることができて嬉しかったです。

なんじゃかんじゃいいつつも旅はあと残り1日。夜はツアーの皆さんと関先生を囲んでの宴が「cafe oasis」で開催されました。

カフェオアシスで関先生とご一緒に
関裕二先生

奈良にはあまりおいしいもの&魅力的なお店がないと思っていたのですが・・・。こちらのお店とても居心地がよく、お料理もおいしかったです。

カフェオアシスの前菜(アペリティフ)

次回奈良を訪れたらぜひまたいってみたいお店の一つになりました。

ツアー3日目最終日は斑鳩の里・法隆寺を訪ねます。

Information

cafe oasis
営業時間:11時30分~21時(20時30分L.O)、月曜・火曜休み
住所:奈良県良市小西町1-8 axe unit 1F
電話:0742-25-2550

■取材協力
D’s Trip 大和リゾート株式会社

関 裕二(せき ゆうじ)さんプロフィール

1959(昭和34)年、千葉県柏市生ま れ。歴史作家・武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
仏教美術に魅せられ奈良に通いつめ、独学で日本古代史を研究。
『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』『神武天皇vs.卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など著書多数。

NHKカルチャー青山教室目黒学園カルチャースクールで古代史講座が絶賛開講中。興味のある方はぜひ!

▼編集部Iの古代史オタク旅シリーズ
1.2017年奈良旅行
団体旅行に、なぜ奈良は人気がないのか?
夏に奈良に行ってはナラない!?「大化の改新の謎」に迫る!大人の修学旅行
奈良にはナラった歴史と違うことがいっぱい!

2.2019年奈良旅行
古代史ミステリーに迫る!いま再びの奈良2泊3日旅行
奈良旅行!2日目は「日本書紀」にその名が残る山の辺の道へ
奈良旅行!最終3日目は奈良中心部を爆走

3.2022年奈良旅行
奈良に行くナラ、歩くシカない!?古代史オタク2泊3日旅行「若草山登山」編
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4.2023年奈良旅行
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